2006年8月12日

Frankfurter Allgemeine Zeitungは、16年前から毎朝欠かさず読んでいる愛読紙ですが、今朝の1面トップの見出しを読んで、目を疑いました。「ブリキの太鼓」などで日本でも知られるドイツの代表的文豪ギュンター・グラスが、17歳の時に悪名高い武装親衛隊(Waffen SS)の隊員だったことを、同紙との単独インタビューで告白したのです。彼については、他人が書いた伝記がありますが、そのためのインタビューでこれまでグラスは、武装親衛隊員だったことを隠し、「高射砲部隊の補助員(Flakhelfer)だった」とごまかしていました。ちなみにこのFlakhelferというのは、大戦末期に少年だったドイツ人が自分の軍歴を説明する時にしばしば使う言葉で、コール元首相、法王ベネディクト、シュミット元首相もみんなFlakhelferだったようです。

グラスは初め潜水艦部隊に志願しましたが年齢が低すぎたために、採用されず、そのかわりに第10SS戦車師団「フルンズベルク」に召集され、戦車兵(砲手)として採用されました。本人によると訓練は行ったが、銃を撃ったことは一度もなく、SSの残虐行為については全く知らず、捕虜になったときに上官が軍服を脱ぐように言ったために、初めてSS隊員であることの問題性に気づいたようです。彼は当時少年だったほとんどのドイツ人がそうであったように、ナチスが催した共同キャンプ生活などに魅了され、家庭から飛び出す良いチャンスととらえていたのです。このため、ナチスの犯罪について初めて知ったのは、戦後ニュルンベルク裁判でヒトラー・ユーゲントの総指揮官だったバルドゥーア・フォン・シーラッハが証言してからだと言います。

SSのハインリヒ・ヒムラー長官の私兵で、大戦勃発とともに拡大の一途をたどっていた武装親衛隊は、エリート部隊で、装備や兵器も国防軍をはるかに上回っていました。当初は完全な志願制で、隊員は腋の下に血液型の入れ墨をすることになっていました。しかし、グラスが召集された1944年の混乱期には、兵士の消耗が激しくなっていたために、志願兵でなくても手当たり次第にかき集めていました。

グラスがこのことを妻以外には誰にも話さず、60年間にわたって沈黙を守っていたのは、短い期間だったとはいえ、やはり武装親衛隊の兵士だったことにやましさを感じていたのでしょう。武装親衛隊は、前線で国防軍と同じく戦うことが主な任務であり、強制収容所を管理していた一般SS(Allgemeine SS)や、ソ連などでユダヤ人の大虐殺を行った特務部隊(Einsazgruppe)とは異なります。(こう考えると、今日のNHKのウエブサイトが親衛隊と武装親衛隊を区別していないのは、やや正確さを欠いています)


とはいうものの、武装親衛隊に属する第2SS戦車師団「ダス・ライヒ(帝国)」は、フランスのオラドゥール村で、パルチザンに対する報復として住民の虐殺を行い、村を完全に破壊しています。また、グラスが属していた第10SS戦車師団「フルンズベルク」の指揮官の一人(Karl Fischer von Treuenfeld=1944年4月に別の部隊へ転任)は、ヒムラーの片腕だったRSHAのハイドリッヒ長官がプラハで暗殺された後、チェコで報復作戦に加担しています。

コール氏が首相時代に、レーガン大統領とビットブルクという村の兵士の墓地を訪れたところ、この墓地には武装親衛隊の兵士が40人も埋葬されていたことがわかり、ドイツでは強い批判が巻き起こりました。つまりこの国では、武装親衛隊に属すること自体が、すでに批判の対象となるのです。

社民党員でヴィリー・ブラントの盟友でもあったグラスは、戦後ドイツでは、リベラリズムの旗手の一人でした。ドイツではこれから、彼の60年間の言動について、詳細な検証活動が行われ、その政治活動や作品について、見直す作業が行われることになるでしょう。

私は、グラスがナチスの思想教育に幻惑され、犯罪性を知らないまま、武装親衛隊に入隊したこと自体を、批判することはできないと思います。しかし、そのことを60年間にわたり世論に対して沈黙していたことについては、批判される余地があると思います。

ドイツで新聞を読んでいると、ヨーロッパの歴史と政治史、文化史が交錯するようなストーリーに触れることが時々ありますが、今日のFrankfurter Allgemeine Zeitungの文芸欄の2ページを完全に埋めたグラスとのインタビューは、正にそのような歴史の重みと政治性を含んだ記事でした。このような記事を読むと、「やはりドイツに住んでいて良かった」と思ってしまうのです。みごとな特ダネでした。

ちなみに、グラスが捕虜として収容されたバイエルン州のバート・アイブリングの収容所には、現在のローマ法王であるヨーゼフ・ラーツィンガーも収容されており、グラスは彼と友達になっていたそうです。これも、初めて明らかになった事実です。